色々な動機があって研究しているのだけど、ちょっとだけ振り返ってみる。
高校2年生の時にいろいろ悩んで、哲学の本を読み、研究の意味を考えた。
プラトンの「無知の知」が一番影響を受けた用語だと思う。知っているつもりだけど、本質は何も分かっていない、ちょっとショックに近い感情になった。それ以来、目に入るもの耳から聞く事、全てに対してまず疑うことを始めた。
教科書に書いてあることは何を根拠にしているのか?そもそも先生はきちんと理解しているのか?情報源として何が一番頼りになるのか?そんなことを考えているうちに、根拠となる学問をきちんと身につけた方が早いことに気付いた。
実験結果などの客観的な事実に対する記載方法、考察法、解釈との違いなど、学ぶべきことはたくさんあった。全ての知識に対してこれを始めるときりがない、ということで、起きている間は何が本当で何が嘘かを常に考える様になった。
大学で学んだ事、読み漁った本、内容はは大きな違いとはないとはいえ、書き換えられた部分は沢山ある。情報というものが生き物の様に姿かたちを変えるという証拠だ。
今は一番訳が分からないけど、自分が生きている訳、生命の神秘を探求する事で世の中を見つめるという形で研究をしている。
古代の哲学者はみんな鬱だったという。鬱は天才の称号とも言われていたという。私も双極2型うつという診断で薬を飲む様になって、やっと哲学者の仲間入りを果たしたのかなと思う今日このごろである。